その1

何故『同性愛をカミングアウト』のようなものを書こうと思ったかといえば、三島由紀夫の『仮面の告白』と『禁色』を読んだからである。橋本治は、三島由紀夫は同性愛を「書かなかった」作家と言っているが、私はそれには賛同しない。三島は、時代の制約のなかで、同性愛を確かに書いたのだ。クローゼットとカミングアウトなど、後年の概念で彼を批評/裁断しても意味がない。
私も、自分なりに、同性愛を書いてみようと思った。勿論、「同性愛」も「カミングアウト」も、時代遅れである。今はクィア全盛の時代だ。だが、私が同性愛(者)なりカミングアウトという表現なり戦略を用いるのは、現実は思想に大幅に遅れて展開するからである。現実世界では、まだ、家庭や職場でカミングアウトが気軽にできるような環境ではない。同性愛者なり性的少数者であることがわかれば、家庭や職場で様々な不利益を蒙ることになる。そのような否定的な現実が変わっていないのに、頭の中だけラディカルになっても仕方がないと思った。
勿論私は、クィア思想を支持する。だが、ここで男性同性愛或いはゲイ gay、カミングアウト coming outにこだわるとすれば、それは、それらの概念が変えようとした現実がいまだ変わっていないからである。私はレズビアンだと思われてもいいのよ、というブログがあるが、それに倣えば、私はゲイだと思われてもいいのよ、である。
そのような立ち位置で、やってみたい。

その2

私がはっきりと同性愛に目覚めたのは中学生の頃である。その頃自慰を覚えた。その時女性を想像して自慰するか、男の子を想像して自慰するかで悩んだ。クラスメートの明らかにゲイな男の子に恋したが、言い出せなかった。隣のクラスの男の子にも恋していた。だが、中学生時代の恋愛は、発展性なく終わった。
高校に入って、また別のタイプの男の子に恋したが、気持ち悪がられてしまった。
大学や大学院では恋はしなかった。
初めて男性とセックスしたのがいつのことだったか、はっきりとは覚えていない。最初の相手がトラックの運転手の中年男性だったのは覚えている。その後も何人とも性交渉を持ったが、相手の名前は覚えていない。というか、名前を明かし合う関係になかったと思う。その中に一人だけ、「理想の男の子」がいた。だが彼は、露骨に金を要求してきた。私は金を払わなかったので、彼との関係も持続しなかった。

書き初め

私は、千葉県浦安市の倉庫に勤務する三十四歳の男性パートタイマー、船橋市の実家に両親と同居している。私は、同性愛者であるか、或いは両性愛者(バイセクシュアル)である。特に年下の同性に欲情することが多い。だが、もろもろの理由で、私の恋愛と性愛は疎外・阻害されている。塞がれているのである。その苦境・窮境を語り、同性愛について語っていくことにしたい。
このブログは、以後『同性愛をカミングアウト』連載のために、使用することにしたい。著者は私、攝津正である。
実は『仮面の酷薄』という題名で性について書いていたが、それがどうもうまくいかず、今回仕切り直しというかたちで新たに書き始めた。至らない部分も多いとは思うが、それはご寛恕願いたい。

ヤりたい

ふと完全去勢手術を麻酔なしで受けたい衝動に駆られる。ヒジュラ化したいわたし。
他方、同性にも異性にも簡単に恋する自分がいる。恋した相手とはヤりたい。だけど、薬のせいで完全に性的不能なの。勃起も射精もできない。悔しいけれど、、、
古代に、セックスについて、「おしっことうんこの間」みたいな表現があったのね。女性性器(おまんこ)が排尿器官と排便器官の間にあるからでしょ。じゃアナルセックスは、「おしっこ出しをうんこ出しに突っ込む」こと?さらにお尻に入れたモノを口で咥えたりする?えええええ、そんなことやってるんだ、わたしたち。