その1

何故『同性愛をカミングアウト』のようなものを書こうと思ったかといえば、三島由紀夫の『仮面の告白』と『禁色』を読んだからである。橋本治は、三島由紀夫は同性愛を「書かなかった」作家と言っているが、私はそれには賛同しない。三島は、時代の制約のなかで、同性愛を確かに書いたのだ。クローゼットとカミングアウトなど、後年の概念で彼を批評/裁断しても意味がない。
私も、自分なりに、同性愛を書いてみようと思った。勿論、「同性愛」も「カミングアウト」も、時代遅れである。今はクィア全盛の時代だ。だが、私が同性愛(者)なりカミングアウトという表現なり戦略を用いるのは、現実は思想に大幅に遅れて展開するからである。現実世界では、まだ、家庭や職場でカミングアウトが気軽にできるような環境ではない。同性愛者なり性的少数者であることがわかれば、家庭や職場で様々な不利益を蒙ることになる。そのような否定的な現実が変わっていないのに、頭の中だけラディカルになっても仕方がないと思った。
勿論私は、クィア思想を支持する。だが、ここで男性同性愛或いはゲイ gay、カミングアウト coming outにこだわるとすれば、それは、それらの概念が変えようとした現実がいまだ変わっていないからである。私はレズビアンだと思われてもいいのよ、というブログがあるが、それに倣えば、私はゲイだと思われてもいいのよ、である。
そのような立ち位置で、やってみたい。